*911〜それぞれの10年

あの日から、2977人が犠牲になったあの日から10年の歳月が流れ去りました。
あの日、西日本の地方都市で知人たちと食事をし、二次会に流れた時でした。一人の知人の携帯が鳴り、メールの着信を知らせました。
世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んで、ビルが燃えている。」
俄かには信じられないニュースに、それこそ酒を飲むのも忘れて次の情報を待ちました。
帰りのタクシーの車内でラジオの音量を上げてくれと運転手さんに頼んだのを今でも覚えています。
ブッシュ大統領テロとの戦いを高らかに叫び、フセインビンラディンを追い詰めました。費やした費用は100兆円を超え、犠牲となった兵士も6000人を軽く超えています。
果たして、人類は平和を手にすることが出来たのか?
答は判っています。
平和どころか、大人たちは進むべき道を子供たちに指し示すことすら出来なくなっています。まやかしの平和すら教えることが出来ないでいるのです。
人間は何をしているのでしょうか?
人間は何ができるのでしょうか?
人間は何をしてしまったのでしょうか?
絶望感にさいなまれて、眠ることも出来ないくらい…

そして、あの日からも半年が過ぎました
2万人余りの犠牲者を出した東日本大震災は復興への道を歩き始めるどころか、福島第一原発事故は収束の目途すら立っていないのです。
放射能によって故郷の町を追われた人々は夢と希望を失おうとしています。
そんな時に「死の町」「放射能をわけてやる」なんてのは呆れてモノも言えません。
「死の町」という表現に関しては、4月末にJビレッジまで実際に行った一人としては、逆に最適な表現かもしれないとすら思いますが、後者に関しては…馬鹿です。舌禍とすら呼ぶのも勿体無いほどのアホさですわ
九日目の辞任なんてのは
柳田法務大臣、松本復興担当大臣、鉢呂経済産業大臣…三人目ですわ
人材難とかいうような生易しい状況ではありません。
しかし、自民党公明党という選択肢があるとも思えません。
共産党社会党もダメです

そんなこんなですが、愚痴を言っていても何も解決しません。今を生きる者の責任を全うせねばなりません。解ってはいます。
しかし、しかし、体の奥底から湧いてくる力を感じることが出来ません。
今宵は十五夜なんだそうです。
原発なんか、この世に存在するずっとずっとまえから変わらぬ光を地上に注ぐ月は何を思っているのでしょうか?
愚かな人間と嘲笑っているのか、悲しんでくれているのか…
若しかすると、相手にもしていないかもしれませんね
考えていると鬱にでもなりそうです
人の一生なんてのは、所詮は別れの連続とは知りつつも、その度に体を引き裂かれるかのごとき辛さを伴う別れとは魂を消耗させます
消えてなくなってしまいそうになることもあるし、消えてなくなったところで誰も気づかないのではなかろうかとも思ったりもする

でも、それぞれの犠牲者に思いを馳せて涙を流す人々を観ていると逆に人間と言う存在の可能性を感じさせてくれます。
変かもしれませんね?

なでしこジャパンの快挙をささやかに祝いつつ、体の中にエネルギーが再び満ちるのを街の片隅で声をひそめて待っていようと思います。

犠牲者の冥福をお祈りします
もう悲しみは懲り懲りです