*「かんぽの宿」叩き売り part 2

かんぽの宿 売却凍結」の文字が紙上に躍りました。
予てよりの鳩山総務大臣の意向を受けて、西川社長(日本郵便)は「譲渡問題を一先ず横に置き、一括売却する契約に関しては原点に立ち戻って検討する。」と発表しました。
これを受けて各紙は「事実上の契約凍結」と報道しています。
各紙の記事を読んでみると、マスコミの実態を垣間見ることが出来ると思いました。例えば、朝日新聞の論調では、『そもそもオリックスへの一括売却には疑惑の影があり、出来レースであった公算が高い。』と読み解けます。これに対して、日本経済新聞には『赤字を垂れ流し続ける「かんぽの宿 売却凍結」は郵政民営化の本質をも問い直すことになり、改革の大幅減速は避けられない公算が高まった、これにより日本郵政の経営健全化は遠のいた。』と読み解ける記事が掲載されています。
客観的な出来事を伝えるのではなく、恣意的でどこか輿論を誘導しようとする意図が見え隠れする報道に対して、購読者はその意図に気づいた上で記事を読むのか、それとも知らないままに思想を誘導されているのか。

『思考停止』という言葉を以前もご紹介申し上げたことがあるとおもいますが、新聞各紙を自らの考えを持たないで読んでいると知らず知らずのうちに思考はコントロールされ、気が付くと日頃読んでる新聞や有名評論家の意見を自らの意見だと錯覚するようになるのです。

郵政選挙の際には小泉元首相の発言や行動を新聞各紙は挙って持ち上げ、競うように提灯記事を書いていました。ところが、今回の報道に見られるように、まるで夢から覚めたのか呪文が解けたのか・・・金が切れたのか(ーー;)
小泉改革の本質を問うような報道が各紙でなされるようになりました。
これはこれで様々な意見を読むことが出来るのですから、多様化したことを歓迎しなければなりません。
しかし、今回の「かんぽの宿」にしたところで、根本はアメリカからの「年次改革要望書」によって小泉純一郎が日本人の財産をアメリカに謙譲したことに端を発しているのですから、この現実を蔑ろにしたまま、西川社長とオリックスの宮内会長のやり口を『卑怯者』と非難したことろで本当の問題はなんら解決しません。

そんな『卑怯者』と疑われるような人々に全てを委ねる仕組みを作ったのは他でもない国民自身です。

その昔、偉い哲学者が弟子入り判定試験の際に志願者へ問うたそうです。「お前たちの握りこぶしを良く見てみろ。それは一体なんだ?」志願者たちは「・・・・・」すると、徐(おもむろ)に「それは掌を握り締めたものだ。」すると志願者は「・・・・・・」
握りこぶしとは実は掌を握り締めたものであり、それを開くことによって大きな可能性が発現するということを志願者答えれば合格だったそうです。(流石に私はその時代に生まれていませんでしたので、本当かどうかは知りませんけどね(^^ゞ

私たち国民・有権者はひとりの力では何も出来ないと言います。本当にそうでしょうか?

はっきり言って本当です。

しかし、一灯が万灯に、そして遍照金剛(密教で、大日如来の名。光明があまねく照らし、金剛のように不滅であるところからいう。)になる可能性を実は掌が持っているという事実も本当です。

60年経ってレストランに入るよりも、今すぐに入れるレストランを皆が力を併せて作れないものでしょうか?

追伸、中川秀直さんの事務所関係者は利殖上手だったんですね(^^ゞ
   誰か私にも株をくれないかなぁ〜なんてにね。(ご興味のある方は「グッドウィル仲介の公認会計士」で検索してみては如何ですか?