平成22年を振り返って

平成22年・・・
色々な事がありました。個人的にも、世界でも。
北朝鮮の砲撃は未だ記憶に新しいのですが、師走の買い物に夢中な日本人は既に忘れてしまったかのようなお気楽モードです。
菅直人総理も小沢元代表問題だけでなく、TPPや高速道路無料化、子供手当て、普天間基地生物多様性、連立、戦略局・・・
枚挙に暇がないとは、このことだと思います。
果たして、日本は何処に行こうとしているのか?
嘆いてばかり、憂いてばかりいても仕方が無い事なので、自分に出来ることをやろうと思いますが、時として、閉塞感とか厭世観とかいったものに押しつぶされそうにもなります。
「本当に一所懸命何かをやって、何かを掴む事が出来るのか?」
「果たして、世の中の役に立っているのか?」
とは言え、立ち止まって入られませんので、自分が「前」だと思う方向に向かって牛歩を重ねるだけです。
気が付けば、残り一日半。

デンマークは言うまでも無く、高福祉国家です。年収の半分以上を税金として納める国民は、それによって保証される無料の教育や医療、老後は当然の権利として受け取れるのですが、逆に行き過ぎた福祉国家は行き過ぎた個人主義を生み出し、年老いた両親を面倒見る子供たちは殆ど居ません。
日本でもそうだと言いますが、高齢者施設を訪れる家族の姿はまばらで、高齢者たちは生きる目的を時として失ってしまいます。
そんな、高齢者も自分たちが支払った世界的にも類を見ない程の高額な税金の対価として高福祉を受け取っています。
ところが、「自分たちが社会に必要とされていない。」と感じる人が少なくは無いのだそうです。
システムとして「社会福祉」を考えて、行政の義務として、それを遂行するのが国家であると考えて私たち日本人は医療や高齢者福祉、児童福祉・・・を考えてきました。

でもね、人間はシステムでは解決できない問題を抱えているのだと強く思うんですよ。
人は人と接して初めて人としての存在があるんだと思うんです。
メールや電話とかいった間接的な接触の仕方ではなく、会って話したり、酒を酌み交わしたり、カラオケで盛り上がったりしながら、人と接することが大切だと思うんです。

昨年の下半期以来、これまでは全く関係の無かった多くの人々と関わりを持ちながら東京で過ごしてきて一年半が過ぎました。
何となく何かが見えて来そうな分野もあります。(でも、ここからが遠いんだろうなぁ・・・と)

変な事を言いますが、何歳になっても挑戦することを忘れてはいけないと強く思うんです。手遅れということは人生にはないと信じたいんですよね。(まぁ、物理的な要因は仕方ありませんが)

目標は
「世界進出」
なんて、如何でしょうか?

ぐずぐずと纏まりの無い内容のブログではありましたが、今年も一年何とか飛ばし飛ばしではありましたが書き続けました。
来年は、もう少し内容のあるブログにしたいと思います。
文章作法を学ばねばならないと、つくづく思います。

まぁ、そんなこんなで、お立ち寄り下さった皆様の限りない弥栄を祈念申し上げます。
m(__)m