*この頃

この一ヶ月余りの間に本当に色んなことがありました。
尖閣諸島の問題や北方領土問題、柳田法務大臣(当時)の失言から更迭までのドタバタ劇。
北朝鮮のテロ行動と中国の怪しげな動き。
ミャンマーの西側諸国への解り易い摺り寄り行動。
今更ながらの菅総理の迷走と自爆行為。
名古屋に目を転じればリコール不成立に同時選挙計画。

ウィリアム王子の結婚式の費用を税金から捻出することに国民の一部から不満が出ているという報道。

コネタに至っては、海老蔵の殴打事件・・・

そんな中、三島由紀夫の没後40年が去る11月25日訪れました。
言わずと知れた昭和45年11月25日、市ヶ谷の駐屯地に楯の会のメンバーと立て篭もり、最終的に割腹自殺をしたあの日から40年が過ぎたのです。
リアルタイムの印象があるわけではないのですが、様々な文献やテレビの特集などを観ていると非常に特殊な存在であったようです。(お詳しい方に言わせると「当たり前だ」と叱られそうですが・・・)

三島由紀夫は(1925年(大正14年)1月14日に生まれて1970年(昭和45年)11月25日、没)文献を読んでみると身体や生まれにコンプレックスを抱いていたそうです。
163cmと言う当時でも決して高くない身長と出自の証拠となっている過去帳に必ずしも好ましいとはいえないご先祖様の行状が明らかになる内容が記されていたとかいないとか・・・
自らを昔ながらの高貴な家の出であると称していたそうです。

同世代の小説家に立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)がいます。
最近では名前を聞くことも少ない作家の一人かも知れませんが、一時期は恋愛小説(?)の旗手として直木賞も受賞しています。
彼は自らを禅僧の息子であると称していたようですが、その事実は結局は確認されることも無く、他には朝鮮半島の貴族の出身であるとも言っていたようですが、こちらは明確に虚構であることが証明されています。
果たして、どのような理由から、出自に関して、そのような事を自称していたのかは知りませんが、恐らく何かがあったのだと思います。
人気作家だった当事、女性誌の撮影に応じて、鎌倉の海岸で赤い胴を身に着けた剣士姿で竹刀を斜め上段気味に構えた写真を撮られていたのを見たことがあります。
ごく個人的な思い出ですが、四半世紀以上前に鎌倉の報国寺の竹林でお薄を頂戴したのを思い出します。

それは良しとして、一年違いの生まれも育ちも全く異なる作家が似たような出自捏造をしていた偶然に勝手に驚いております。

あの時代に何があったのか?

勝手に不思議な符合だと・・・