*検察審査会
「検察審査会(http://www.courts.go.jp/kensin/kensatu_sinsakai.html)」と言う名称の組織がマスコミを賑わせております。
果たして、詳しい内容をどれ程の有権者が知っているのでしょうか?
と、言うのも基本的に検察審査会の審査員は有権者から選出されるからです。
無論、「有権者であっても、学校教育法に定める義務教育を終了しない者、1年以上の懲役または禁錮以上の刑に処せられた者、そして、天皇・皇后・太皇太后、皇太后・皇嗣・国務大臣・裁判官・検察官・会計検査院検査官・裁判所常勤職員・法務省常勤職員・国家公安委員会委員・都道府県公安委員会委員・警察職員・司法警察職員・自衛官・都道府県知事・市町村長・弁護士・弁理士・公証人・司法書士は除く」そうですので、国民の全員が審査員になれるわけではありません。
それは置いておいて、無作為に抽出された審査員の中で11名が選出され、検察審査会が形成され審査が行われます。
今回の小沢氏の件でも通常と同様の手続きが為されましたので、11名中、検察審査員8人以上の多数によって起訴が決定したのでしょう。
小沢氏本人も言っていましたが、どこの誰かもわからない審査員が審査を行うという匿名性に必然性は認めるものの、一抹の不安を感じております。
しかも、連日なされる偏重報道(主観です)は国民の認識を『小沢有罪』へと醸成しており、どう贔屓目に見ても公平な審判が為されたとは思えないのです。
果たして、そのような危うげな組織に我が国の司法を例え一時とは言え委ねても良いのでしょうか?
無論、検察審査会の決定によって警察の捜査不備を指摘、補完し、責任の所在を追及しえた案件があったことも間違いない事実です。
これを根拠にすれば検察審査会の存在意義は明確に存在するわけです。
しかし、今回のようなマスコミによる恣意的としか思えない情報操作にまんまと乗るような組織でもあるという側面から見れば、存在意義よりも弊害が目立ってしまうと感じております。
誠に残念ながら、法律にも政治にも素人である審査員が正しい判断を下すとは思えないのです・・・(勝手な考えですが)
例としてあげるならば、「審査員の中の何人が公職選挙法を知っているのでしょうか?」といったことです。
「法定選挙費用」というのが選挙ごと、選挙区ごとに定められています。ところが、選挙管理委員や選挙管理委員会事務局の公務員も、定めれらた金額の中で選挙が出来るとは考えてもいません。
普通に考えれば、決められた金額の中で選挙をしなければ罰せられるのでしょうが、現時点では罰せられることはありません。
簡単に言えば、法定の金額だけを申告し、それ以外は申告しないということです。
こう言っても、『バレたら、罰せられる』と考える人もいると思いますが、そもそも、法定費用内で選挙活動は出来はしないというのが選挙委員会も含んだ業界関係者共通認識ですから、饗応や買収のようなこと以外では連座法にも引っかかりません。
ご存知でしょうか?
そんなこんなで、『民意』とかいう著しくバイアスのかかった恣意的な圧力が我が国の司法制度を蝕んでいるという現実に焦燥感と嫌悪感がごちゃ混ぜになった恐怖感を覚えたものですから、走り書きって見ました。(ーー;)
「司法は国民の為、日本に居住する人間の為にあります。「世論」という不確定要素を多分に含んだファクターや「民意」と呼ばれる極端にバイアスのかかった圧力で、為政者、更には、その他のステイクホルダーが恣意的に中立であるべき司法の決断に影響を与えようとするならば「時として、正義にも不思議な正義がある。」と言わざるを得ない状況に陥ります。
やはり、地道な人材育成以外には打つ手がないのでしょうか・・・」
ナンチャッテ(>_<)